普通の生活とは
母親が感じる普通
あるお母さんが言いました。「普通の毎日が過ごせることが嬉しいと気づいた」と。
これはどういうことだと思いますか?
実は子どもさんが学校に行かれない状態になり、どうしたら良いのかと考えた時に発せられた言葉なのです。
ここで気づくことは、子どもさんが毎日学校にいくことが普通になっていること。それが当たり前の生活。
当たり前だと感じていることは、普段あまりそのことについて考えることなどないものです。
しかし、状況が変化したときに普通の生活について考えるのです。子どもさんが学校へ行くことが生活の一部になっており、それが滞ると不安や心配な気持ちが湧いてくる。それを困っているのです。
要するに、普通の生活は自分の気持ちが平穏であることが条件になっているとも言えるのです。
子どもさんの生活
子どもさんとお話をしながら、ご家族の様子なども分かった来ました。とても仲の良い家族であり、何でも話すとのこと。
きっと、これが無くなってしまったのだと感じます。
子どもさんが学校へ行かれなくなっている理由は、話しているとハッキリしてきます。
仲間との信頼関係や先生との関りに本人なりの思いがあり、それが上手くいかなくなっていることがわかりました。
今までにないくらい、色々なことを考えたそうです。しかし、どうすることが良いのかわからないとのこと。
自分ではどうしたいと思っているのかを聞きながら、関わる人たちの思いも考えていきます。
今している経験は、きっと彼女のために活きると伝えながら話を続けました。
救いなのは、彼女が終始笑顔であったこと。
なぜなのでしょう?
辛い状況の中でも笑顔が見える・・・。
それはこの後でお話します。
とりあえず、彼女は何かを吹っ切ったように大きく頷き、学校へ行き仲間や先生と話をしたいとのことを口にしたのです。
日々の生活は変化している
さて、お母さんの普通の生活を喜ぶ姿は、子どもさんの様子にもはっきりと表れています。
それは、子どもさんが笑顔を失っていないことから感じることです。家族で共に過ごしながら寄り添い、しっかりと支える体制ができていると受け取れたのです。
だからこそ、子どもさんはお母さんと一緒に私のところに来たのです。
お母さんばかりでなく、もちろん子どもさん自身も学校へ行くことが普通の生活だと思っているはずです。
それがあるから今は家族のみんなが普通の生活ではない状況に陥っていると感じられます。
普通の生活とは色々考えられるものです。この家族にとっての普通の生活と、他の人にとっての普通の生活は違うかもしれません。
しかし、忘れてほしくないことは、日々の生活は変化しているものだということです。
常に同じ状況ではありません。
お母さんが思っている普通の生活は、同じことが繰り返されて大きな変化はない状態であることなのでしょう。
それを気づいたのは、子どもさんが学校へ行かれなくなったことから・・・。
改めて普通の生活について考えたのです。
普通の生活という概念
普通の生活はそれぞれの思いの中で成立します。
その中には小さな変化はあるとしても、取り立てて大きな変化は感じられないものなのです。
何をもって普通と言うかは別として、普通の生活の有難さを感じられたことはこの家族にとって良いことであったのは間違いありません。
家族でもそれぞれの生活はあります。子どもさんの学校での生活はお母さんには見えないもの。それでも、子どもさんの変化から知ることもできます。
それぞれの生活が普通であることは難しくもあるのですが・・・。
それが生活には変化がつきものだと言うことです。
この家族は、それぞれの生活の理解、そして共有する生活をしっかりと考えることができました。
これからも生活自体を大切にするはずです。
さらに、普通でないと感じる状況に対応する力もついてくるはずです。
何かを良しとするとき、そうでないものを悪いと考えがちです。しかし、決して悪いとばかりは言えないものであり、逆に何が良いかを教えてくれることもあるのです。
今回、普通という概念をお母さんも子どもさんもはっきりと認識したと感じます。
生活の変化は常につきものであり、それゆえの辛さもあります。
いや、それだけではない楽しさや嬉しさもあるはず。
そこに目を向けて生活をしてほしいと感じた事例です。