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上級心理カウンセラー  遠藤 久恵のカウンセリング・コーチング

人を評価するということとは

公開日:2023年11月22日 カテゴリー:ひとりごと, 教員の皆さんへ タグ:

評価の捉え方

 

 

人を評価することの難しさを感じている人は多くいるかと思います。

学校の先生でしたら、子どもたちを授業などで評価する。
管理職でしたら、部下を仕事の成果などで評価するということもあるもの。

このように人が人を評価するという場合、その基準が必ずあります。
無暗に好き嫌いで人を評価することなど本来あり得ない!

それが誰にも理解できている状況でないと、誤解を招くこともありがちなのです。

考えてみてくださいあ。誰にも自分以外の人を評価するということはあるものなのでは・・・。

 

自分の価値観の表れ

 

 

単に人を評価するというと上から目線で好き勝手に相手を考えると思われがちです。もしそうなら、そこには自分の価値観しかない。

公な評価でなければ誰にも知られず、話すこともしないのなら自分の中だけでこの評価は終わります。
しかし、誰かに話したりするとどうでしょう?

話題の一つに「○○さんはこんな人だ」などとお互いが一人の人に対する評価をしたとすれば、間違いなくそこには話している人の価値観が見えてきます。

そして、そこには一般的な基準は存在しないのです。

そのような評価をすることは、ある意味決めつけでもあると感じます。
自分が見たこと感じたことに対して、自分だけで判断し決めつけていることです。

もしかしたら、他の人は同じような評価を下さないこともあるのでは・・・。

それは、人を評価する場合に基準が決まっていないから起こりうることです。
人の見方は一様ではありません。

もしあなたが誰かを見てこんな人だと思うのなら、たぶん一面だけからの評価ではありませんか?
正面から見た時と、横から見た時では顔は違って見えます。これと同じことです。

他の方向から見ると、まったく違う人物像が現れることもあるのです。
それゆえ、単に一つのことだけで人を評価してしまうとその人のレッテルをそれだけで貼ってしまうようなもの。

見る目がない…。そうも言えるのではないでしょうか。

 

自分で自分を評価

 

 

学校の先生が子どもたちを授業等で評価するということは、とても重要なことであり大変なことです。一人の人間を様々な観点で見ることが求められ、誰もが納得するように評価することが大切だからです。

単純に数字では表せないことだと感じます。

子どもたちそれぞれが学習の理解度も違うもの。その中で個人をどのように捉えて何を基準にして評価をしていくかを考えねばなりません。

評価基準は、実に細かく規定されています。
それだけのスケール上にのせれば割り出せるはずですが、果たしてそれだけで人を決めつけてよいものかという疑問もあるかもしれません。

良い成績を収めるために頑張る!という子どももいるでしょう。それも、また良し。
わからないことを一つひとつクリアーして少しづつステップアップしていく子どももいるでしょう。それも、また良し。

いずれにしても、学習に喜びを感じてくれることが教員が望むことだからです。

そんな様々な子どもたちを同じスケール上にのせることは無理があるのかもしれません。
だから、教員は子どもたちの評価に悩むのです。

単純に割り切れないことが多いから・・・。

このように、単純に割り切って人を評価することはできないもの。いつでも、誰でもがそう感じてほしいのです。
私たちがお互いを認め合い、尊重しながら生活することで、人を人が評価するということが必要ない社会であればよいと思うのです。

もちろん、評価によって励みも生まれるかもしれません。
もしそうなら、自分で自分を評価することです。自分を一番よく知っているのは自分なのですから・・・。

 

 

 

 

 

 

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