緩いくらいの気持ちでもいい
決めつける考え方
人は何かに囚われ、何かに追われ、何かを求める。それが続くと、どんなに苦しくなるか・・・。
自分を自分自身で追い詰めていく行くようになると、逃げ場もなくなります。
これが疲弊する状況に繋がり、次第に心も病んでしまうのです。
人は「〇〇せねば!」とか、「〇〇するべき!」という感情に囚われすぎてしまうことがあります。自分はこうあるべきなのだと決めつけ、そうあるために思考や行動を規定していく。
つまり自分で自分を縛っていることなのです。小さな枠にキチっと入れようとしていることでもあります。
自分に厳しく・・・ということは、ある意味素晴しいこと。そう思っていないと厳しさは持てないかもしれません。
しかし自分を縛り付けたり、小さな枠に収めようとしても窮屈さを感じたりはみ出してみたくなることだってあります。
それを押さえようとすると、益々気持ちが滅入ります。
時として自分に厳しくすることが必要なことは、誰もが理解しているでしょう。
それを常に持ち続けることの難しさも・・・。
常識やルールの中で
なぜ「〇〇せねば!」「〇〇するべき!」などという思考が湧くのでしょう?
これは幼い時に、親御さんの躾に端を発することがあります。人の思考は、自分だけのものであるとともに、それが正しいと思い込んでいることもあります。
特に、子どもへの躾は親自身の生活の中での常識やルールに則り行われます。
生活の範囲での常識やルールは、確かにそうあっても良いものです。
しかし、子どもの生活範囲は成長するにつれて広くなります。そこでも常識やルールもあります。それも子どもは理解しなくてはいけないのですが、どうしても邪魔になるのが幼い時から自分の中にある親御さんからしつけられた常識とルール。
「〇〇せねば!」「〇〇するべき!」という思考は、ここから生まれていることに気づきます。
それが、自分の価値観になっているのです。
生活範囲が広がったとしても、そこの状況であるとか、関わる人たちのことを知ろうとしない!あくまでも自分の考え方は正しく、それを受入れない人たちが間違っている!と解釈してしまうのです。
もちろん、自分自身にこの制約を課すだけならばまだ良いのですが、他の人にまで押し付けるようになったのなら、反感も持たれてしまいます。
すると苦しさが襲ってくる・・・。
苦しさを感じる前に、縛られていたものを少し解きほぐす・・・そんな気持ちを持つことが大切なこと。
今いる場所での常識やルールも認めてみることです。
気持ちを少しずつ緩めてみれば良いのです。
その場所その場所で、生活する人たちの価値観も違うのですから・・・。
自分の思考を緩く持ってもよい
それを知った時、自分の小さな枠からはみ出ても構わないことや自分を押さえつける力を緩めてみることも良いのではないかとわかるはずです。
厳しいだけが正しいことではありません。
時に緩く考えてみることも、思考を柔軟にすることであり新しい発想も浮かびます。
何かに囚われるより、周りに関心をもって視野を広げてみる。
追い詰められるより、楽しく物事を追っていく。
その場で得られるものに関心を持つ。
自分を縛っていたものは、結構簡単に解けるものです。
親が悪いのではありません。
成長する過程で、柔軟に考えられる緩いくらいの気持ちを持っていれば良いことです。