18才、叫べ!もっと大きく!!
18才という年頃
「こんな私でいいのでしょうか?」
そう言う彼女は、これから先、自分がどのようにしていけばよいのかわからないと悩んでいる18才。
友達は着々と自分の将来を描いている姿を見て、こう考えるようになったとのこと。
もし、そんな自分がダメだとしたら、どんな自分なら良いと思うのでしょう?
友達と同じでなければいけないの?
そんなことを考えるヒントが昨日のテレビにありました。
18才・・・さて、いったいどんな年頃なのでしょう?
もう大人、まだ子ども
有名ミュージシャンととも18才の若者たちがパフォーマンスを繰り広げるというプロジェクト。
そこに参加希望した18才の若者を見ていると、一人ひとりが自分なりの悩みやジレンマを抱え、どうしてよいかわからない!どう表現すれば理解を得られるのか・・・そう感じるのです。
自分の存在は、これで良いのか?等、大きく括ると共通の問題に行き当たります。
テーマをもとにして作られた楽曲を様々な方法で今の18才として表現していく。
その練習過程において、全体の中で自らを語り、聞き、共感して涙する・・・そんな場面もありました。
18才の若者も、捨てたものじゃない!!
そこには自分でけではなく、初対面の同じ年の人が。すでに「友達」。
すぐに「友達」になれるって・・・?
それはお互いに理解しあえる「何か」があるからと感じがるのです。
彼らは、一人で叫びを上げるより複数で、いや大勢で叫ぶことを望んでいるように見えます。
一人の叫びは、いくら大きな声をだしても届く範囲は限られている。
家族に、先生に、友達に、本当に届くのだろうか?
そして自分は、そこから何を受け取れるのだろうか。
こんな思いが、大勢で叫ぶこと=なにかをきっと受け取れる!
に変わってくるのです。
18才、選挙権を有する大人、でもまだ成人式も迎えていない子ども・・・。
参加者の言葉や姿勢から、中途半端な時代を過ごしていることが伝わってきます。
大きく叫べ、叫び続けろ!
今まで自分の殻の中でまとまり、なかなか破れなかった壁。ここから外へ飛び出したい!
そんな気持ちが湧きあがり、その術を探していた18才。
迷いや悩みを持ちながらもプロジェクトに参加することに、どのような意味を感じていたのでしょう。
先にも述べたように、きっと何かを見つけられる、受け取ることができる!なのです。
練習過程にも自分をさらけ出すという事に躊躇いや戸惑いを持ち、葛藤の中で時間を過ごしたはずです。
その時間は、大人への階段を一段上がったと考えても間違いではありません。
そこには自分一人ではなく、今までは知らなくてもここで知り合った「友達」がいます。
同じように悩み、迷っている人がいます。
ここなら、もっと大きく叫べそう
18才・・・生活も様々。学生、浪人生、社会人、既婚者。
でも、そんなことは関係ないのです。
もう大人、でも子ども。大人になり切れない中途半端な彼らは、自分がどんな位置にあるのか見つけることができたのだと信じます。
未完成でいい!!
羽ばたく準備をしている鳥のようであれ。
今は完成されてなくて当たり前なのです。
しかし、完成されていることを望んでしまう自分がいることに気が付いたのでしょう。
今の自分も悪くない! 一人じゃない!
このプロジェクトで気づいたことがいっぱいあったに違いないのです。
見ている18才の若者も共感できたら嬉しいです。
18才、もっと叫んでいいんだ!みんなで叫んでいいんだ!
きっと、どこかに届くし、何かを得ることができます。
叫びを受けとめる人は必ずいるもの。
だから、もっと、もっと大きく叫んでいいのです。
一人でも、叫ぶのです。
そこから大人に少しづつ近づいてほしいと、大人たちは願っているのですから。