「教える」ということ
「教える」とは?
大人は子どもたちに何かを教える場面が多々あります。もちろん、子どもから子どもへということも、大人が大人にということもあるものです。
教えるというと、とかく上から目線で知識を与えると考えがちになるものですが、果たしてそれが正解だといえるのでしょうか?
間違いではないと思われますが、その他に見方や考え方はあるもの。それをしっかりと理解していると、「教える」という行為がとても貴重なことであり、教える側にも有益であることがわかるかと感じます。
「教える」時の心得
教える場面は、日常生活にも頻繁に見られます。自分が知っていることを伝えるということもその一つです。
さらに、教えてほしいと相手の要望に沿うために行動することもあるでしょう。
「教える」という行為の中には、相手にわかってほしい、知ってほしいという願いが込められているはずです。
自分が教えれば理解してもらえる!という判断からこの行動を起こすものかもしれません。
さて、こう考えて行動する時は、どのようにすれば相手にわかってもらえるだろうかと考えるはずです。しかし、自分の知識をただ相手に押し付ける形になってしまうことがありがちなのでは・・・。
すると、相手は教えてもらいたいという気持ちが萎えてしまうのではないでしょうか。
そうならないために、知っておくことがあります。
その一つは、「教える」ということが相手に喜びを与えることだということです。
知らないことを知る喜びは、誰もが感じることです。つまり、自分が喜びを与えられる人であるということです。
二つ目には、「教える」ということは、伝える作業だということです。
特に子どもさんたちは、教える人を良く見ています。どんな言葉で、どんな姿勢でどんな表情で教えてくれるのか。「教える」ことは伝えることだと理解して下さい。つまり、伝え方次第で伝わることも変わってしまうのです。
三つ目に、「教える」ことは、自分を見せることだということです。
私たちは、いかに行動すればよいかを知りたい時には対象者の動きを見るはずです。つまり、自分自身を見せることで相手の理解を促すことができるはずです。
このように、ただ単に「教える」ということを上から目線ではなく、教える側も教えられる側も納得しながら気持ちよく関わりあえるかを考えることが大切なのです。
「教える」ことが伝わるために
子どもたちに「教える」という場面があるのなら、具体的な言葉や表現方法も工夫することが必要です。
それが子どもたちの理解を促す術になるからです。
時に子どもたちは、教えてくれる人を良く見ています。それは、服の色や髪型なども含まれるのです。
そこまで気にしなくてはいけないのか・・・?と言われそうですが、実際に明るい色の服を着て子どもたちに話しをすると楽し気な様子も見られます。
子どもたちなりに理解しようとする姿勢を示すのですが、それを教える側がしっかりと捉えていることも必要です。
相手が誰であれ、「教える」ということに私たちは奢ってはいけないのです。
相手が知りたいことを、知っているだけのことなのですから・・・。
誰もが教える人になる時があります。
知っていることを伝えるために今一度、自分の姿勢を考えていきましょう。