繋がることの素晴らしさ
私には、数十年という長い年月、年賀状だけでつながっている人がいます。
それは私だけに限ったことではないかもしれません。
しかし、特別な経緯を経て繋がっていることに喜びを感じずにはいられないのです。
今も繋がっている彼は、中学生時代に不登校に陥っていたのです。
そんな彼との関りから今に至るまでをお話します。
不登校だった彼
それは、とある研修で彼を訪問する役目を担ったことに始まります。
郊外にある彼の家まで車で出かけ、2時間程度の関りから・・・。
最初に彼を見たのは真っ暗な部屋の中。その中に机に向かって彼は一人ポツンといたのです。
電気をつけてほしいとお願いすると、嫌がるそぶりもなく立ち上がってくれます。光の中にいる彼は、おとなしそうな感じ。いや覇気が感じられない・・・。
初めての対面では、一言も口を開かずにただ私の話しを聴いている状況でした。
でも、何故かしっかりと届いていると信じられたのです。
毎週一度訪問をし、一方的な話が続きました。
終日家に閉じこもっている彼でしたが、キチンとした姿勢で私の話しを聴いてくれていると思えたのです。
何を話したかというと、外の話し。
お天気のこと、気候のこと、周りに見えるもの、気が付いたことなど彼が関心を持つかどうかはわかりませんが、とにかく家の外の情報を与えたかった・・・。
彼は一人っ子。両親以外に話しをする人もなく、部屋に閉じこもる時間が長いようでした。
家の中の閉じ込めらえたような環境では、気持ちも広がることは無くなってしまうのではないだろうかと考えた末、外の様子を少しでも伝えて気持ちを外向きにしてほしいと思いました。
毎回同じように気候や外の様子の話しに付け加え、次第に彼はどう思うか、あるいは今までに感じたことなどを聞いてみるようにしたのです。
そこから変化が見えるようになったことは、本人もわかっていたようです。
部屋のカーテンが開きました!
挨拶を率先してするようになりました!
笑顔で迎え入れてくれるようになりました!
これらが私にとっては何より嬉しかったことです。
お母さんは、話をする時間が増えたことやお手伝いをしてくれるようになったと喜んでいます。
彼の変化は、家族も笑顔にするということが手に取るようにわかりました。
しかし、学校へは時折行くだけだったのです。
それでも、学校がすべてではありません。
彼には今後も生活をすることが優先となるのですから・・・。
繋がっていると思えること
その年だけの関わりだった彼。
その後は年賀状だけの連絡となりましたが、そこには言葉少なですが色々なことが書かれています。
北海道へ親子で移ったこと。
お母さんが他界されたこと・・・。
それでも彼は懸命に生きていることが手に取るようにわかります。
たかが一年の関わりであったのですが、彼の人生の中に私が存在していることを年賀状から確信できる喜び。
毎年、彼からの年賀状が楽しみです。
人と関わることで繋がりが生まれます。
しかし、それは時としてプツンと切れてしまうこともあるもの。
何十年もの間、切れずに繋がっている関わりを宝物のように感じています。
すでに立派な大人になっているでしょう。
顔も思い出せなくなりました。
それでも、繋がっていることは間違いないのです。
彼に何かすることはできたのかな?
何か感じてくれたのかな?
いつまでもその思いは残るのですが、繋がっている暖かさは変わりの無いものです。
繋がることの大切さと喜び
人との関わりとは、点ではなく線でありたいものだと感じます。
その線は、たとえ途中で途切れても、結び直すこともできる。
一度繋がりを持てたのなら、関わった時のことは忘れられないものです。
誰もが誰かと繋がることで喜びや楽しさを知ることができるはずです。
もちろん悲しみや悔しさも覚えることがあるかもしれません。でも、それも繋がっていることで得られた感覚です。感情が現れたこと。
多くの人と関わることで、得られることも多いはず。
それが自分を大きくし、生きる指標になることもあるのです。
人と繋がることの喜びを誰もが感じられるようにと願います。
彼との関わりは、今後も続くと信じます。繋がってきた長い線は、これから先も伸びていくと思います。
そんな年月に感謝をおぼえる毎年のお正月。
今年も彼は立派に生きているのだと確信できました。
繋がること、繋がっていることはお互いの喜びになっているのだと感じる一幕。
年賀状だけで相手のことを知る場合は多いかと思われます。それでも繋がりを感じずにはいられないのです。
どんな時でも人を大切に思い、お互いを認め合うことで繋がりは生まれるのです。