良き指導者は、良き学習者でもある
指導者としての姿勢
家庭における親御さん、学校における先生、職場における上司。
共通点はというと、相手に指導できることの知識や経験を持っているということでしょうか。
自分の立場から子どもさんたち、職場の部下に対してどのように関わることが良いのだろうか・・・
そう考える人もいるかと思われます。
人間関係は、家庭でも学校でも職場においても捨てることはできません。ですから余計に良い関係を結びたいと思うのです。
子どもさんや部下から見ると、良き親、良き先生、良き上司とはどう捉えられていると思いますか?
お互いにその関係性を悪いものにはしたくない・・・と考えているのは同じなのです。
しかし、立場が違えば物の見方や考え方も違うもの。それを同じように理解することは難しいことであり、それぞれが自分勝手な捉え方をしてしまうことが多いのです。
誰かにものを伝える時、どのように言葉を使うでしょうか?
自分より目下の位置にあると思うと、ついつい命令形になったり言い放つような言い方になりませんか?
では、それを受け取った人はどう思うでしょう?
気持ちよく「はい」と言えるのか、そうは捉えられないのか・・・
おわかりだと思いますが、人に何かを伝える時は必ず受け取った人がどのような受け取り方をするかを考えることが必要になります。それは、どうすれば理解してもらえるかということに繋がります。
もちろん伝える時に使う言葉や方法も大切ですが、わかってほしいのならそれなりの気持ちを込めて語気にも気をつけることが求められます。
これはお互い様なのです!
誰かに気をつかうことが習慣的にできていれば簡単なこと。子どもたちも部下にもそれが当たり前のことだと受け取られ、自分たちもそうするようになるのです。
つまり、自ずとものの伝え方を指導していること!になるのです。
気遣いからの対応力
このような親御さんや先生方、上司さんは、実は相手がよく見えているのでこの気遣いができるのです。
いかにも気をつかっています・・・などという態度は誰もとらないもの。それは相手が気持ちよく自分を受入れてくれるか否かでわかります
自然と身に付いたものなのか、自分でも誰かの対応を気持ちよいと感じたから真似始めたことなのか、それはどちらでも構いません。
このような姿勢の持ち主は、先ほどお話ししたように相手をよく見ています。
それは、相手の様子にいち早く対応する術を持つともいえるのです。見えること、感じることはそのまま自分の対応力を喚起し、発揮できる。
その前提は、相手から何でも学ぶ姿勢があるかないか・・・。
どんな相手であろうと蔑ろにせず、しっかりと相手からも学ぼうとしていること。
それは子どもからであろうと部下からであろうと同じ事なのです。
自分以外の人は、今の自分には無いものをイッパイ持っています。
目を配らなければ見えません。理解しようと耳を傾けなければ聞こえません。
しかし学ぶ気持ちのある人は、自然とそれができるのです。
人から学ぶ!という気持ちを忘れていないのです。
誰もが指導者であり、誰もが学習者であること!
そう心得ていることが、指導者としての親御さん、先生、上司さんは必要なのです。