「研修」を大切にする意味
誰のための研修なのか
最近、「研修」が多く組まれているように感じることがあります。
それは、様々な問題が発生した場合であるとか、新しいことを試みるために開かれることが多いかと察します。
もちろん、上部組織からの依頼があることも然りですが、誰かが参加すればよい研修ではなく、一個人や一教員として自主的に参加する研修も多数あるものです。
先生方は、そのような研修を上手く利用しているでしょうか?
実際、必要だから開かれることです。
それを自分事とは捉えることが無かったりすることもあるのではないでしょうか。
そんな研修をどのように捉えたらよいのかをお話しします。
研修の捉え方を変えよう
先にも話したように、自分事と捉えないとなかなか足は向きません。
しかし、教育に携わる者として自分が関わっていることに違いないのです。
単純に、校内研修や学校間研修というと、面倒だとか、時間がもったいない、やることが山積みで参加することが難しい、興味が無い・・・。
そのように考えることもあるでしょう。
タイトルだけで内容を探ってみないこと、講師はどのような方なのかさえ見ることも無い場合もあるかもしれません。
もったいない!他から見ていると、そう感じてしまうことも・・・。
研修とは、いったい何のためにあるのか?
それを考える余裕もないようにも感じられます。
「研修」をどのように捉えるのが自分のためになるのかということを理解してから参加されると、研修の意味や参加した事の意義も大きく感じられると思うのです。
まず、研修を自分の持っている知識の確認の時間としましょう。
そこで話されることが、すでに知っていることや理解していることだとしても、改めてそのことが正しいのだと確認をすることです。
私たちは、自分の持っている知識は確認などせず、それが正しいと思い込んでいるもの。
ですから、そこで確認することで更に強く知識の定着ができます。
そして新しいことを得たとしたのなら、今までの知識の上に積み重ねて下さい。よりしっかりとした知識の裏付けにもなります。
もし、自分の今持っている知識が少し違っていた、あるいは新しくなっていたと感じたのなら、知識の上書きをして下さい。
これができれば自分自身がアップデートできたこと!
職場研修なら、全体のバージョンアップができたとも捉えられるでしょう。
インプットからアウトプットへ
このようにつまらないと捉えていた研修を違った意識で見てほしいのです。
しかし、得た知識は、インプットしたことで安心してはいけません。
インプットしたものは、必ずアウトプットすることです。
アウトプットする場を自分で設けることが大事なこと。
それは自分の知識の定着がしっかりと行われることに繋がるからなのです。
日々の教育活動に必ず活かすことが必要なことだと感じます。
研修を無意味なものにしないためには、自分を律する姿勢で臨むことです。
時間を有効に使うということは、このようなことでもあるのです。
研修が、ワクワクできる時間であることを願います。