あるクラスの話し
先生としての思い
新年度が始まり、そして5月連休を過ぎると、生徒も新しいクラスに慣れてくるでしょう。
担任の先生は、自分のクラスをどのように運営していくか、どんな子どもたちに育ってほしいか、クラスで何を学んでほしいかなどと年度当初は考えるものです。
そうは言っても、生徒たちは思うようにはなかなかならないもの。
そこで落ち込んだり、嫌になったりしないこと!
面白い!よし、やるぞ!そう思ってください。
一人ひとりの個性は違うもの。それを把握することに努めます。
毎日、目配り、声かけを忘れない事です。
生徒は、先生をよく見ています。(観察しています)
自分たちに、どう向い合ってくれるのか・・・それを一番気にしているのです。
先生の思いと生徒の気持ちが一致してくれば、生徒にとって楽しく過ごしやすい居場所となるでしょう。
もちろん先生にとっても同じですね。
一例としてのクラス
以前、私が担任をしていたクラスのことです。
お喋りばかり、ほとんど話さない(スゴイ無口)、病弱、部活一筋、読書好き、遅刻常習・・・などなど
そして担任が、その個性を一番面白がっていたのも事実!
高校生ともなれば、ある程度は状況をわきまえて先生の話しをしっかり聞くこともこともするはず。
しかし、自己主張もはっきり、クラスで決めることに対してはなかなかうまくまとまらない。
私は彼らの行動や考えに対して、あまり口を挟みませんでした。
すると、彼らは次第に不安になったのか意見を求めます。
私は、担任が右へ行け!と言ったら、全員が疑問ももたずに同じ行動をおこすことを、あまり良しとは考えていませんでした。
最後に少しだけ言うようにしていたのです。
「皆さんよく考えて意見を言ってくれました。ありがとう。もし自分の考えと違うことに決まったとしても自分の考えをみんなが聞いて理解してくれたことは忘れずに。クラス全員が一致した考えを持つことは難しいこと。色々な考え方があることを知れたのは良かったことですね!」
このようなことの繰り返しで月日は流れていきました。
段々と、このクラスは面白い、素晴らしい生徒たちだ!そう感じてきました。
それは、みんなの顔つきが変わってきたのことから気づいたことです。
言いたいことを誰もが表現でき、理解しあえる。
それが私の目標とするクラスでした。
それには、彼らなりの工夫があったことも事実です。
何でもいいから、みんなが考えを言う。ただしそれに関しては、絶対に文句を言わない。
まるで自然な決まり事のように自分たちで工夫をしていたのです。
生徒自身でつくるクラス
授業が終わり、帰りのホームルームでは連絡事項を伝えると、必ず「皆さんから何かありますか?」と聞いていました。
初めは発言する生徒もいなかったのですが、ある日一人の生徒がハイ!と手をあげこう言いました。
「先生、皆さん、今日は〇〇さんの誕生日です。ハッピーバースデーを歌いませんか?」
全員がビックリ!誕生日を迎えた生徒は恥ずかしそうにしています。
ここぞとばかり「いいですね!皆さんどうですか?」
「賛成!」の声、声、声。
まるで小学校・・・と思われる人もいるでしょう。
しかし、この気持ちはとても大切なものなのです。
〇〇さんを前を招くと拍手が響き、ハッピーバースデーの大合唱が始まりました。
歌い終わり、〇〇さんに一言とふると、感謝の言葉が口から溢れます。
この出来事は、その生徒の存在がクラスにとって大切であることを全員で確認しているように思われました。
これが恒例となり、まるで毎日何かの記念日のようなホームルーム風景となったのです。
そんな中、今日は何もないんだな・・・と思っていた時に手をあげこう言う生徒が。
「みんながよければ、漫才やりたいんですけど・・・」誰もが予想だにしないことがこれから起こるのです。
彼は、とてもやんちゃでお喋りばかりの野球部。そんな彼が相棒として連れてきたのがクラス一無口な△△君。
いつも無口で一人絵を描いたりしている△△君が・・・からかっているのなら、叱る場面です。
しかし、二人とも颯爽と前に立ちます。
そしてひと演技! 笑いと拍手喝采で教室はまるでどこかの演芸場のようです。
どうやら、陰で練習を重ねていたようです。無口な彼は、決して嫌ではなかったことがわかりました。
それはそれは楽しそうな表情。やり切った二人はハイタッチ!
よくぞ誘ってくれた。素晴らしい人選だったとお礼を言いたくなるような気持でした。
このコンビはそれ以降、新作ができると披露するようになったのです。
実は、部活動がとても盛んな学校で、ホームルームが終わると一目散に教室から走り出ていく生徒がいるのですが、このようなちょっとしたイベント(?)があると、嬉しそうに残ってくれるのです。
顧問には叱られるのでしょうけれど・・・。
クラスの一員としての、自覚がしっかり表れていたことに嬉しさを感じました。
自覚を持てる人となれ
このように、誰が言ったでもなく自分たちで学校生活をより楽しくしたいと考えて、たぶん担任には内緒で話し合ったのだと思われます。
もし、最初の誕生日の生徒のお祝いの際、担任が楽しそうな顔を見せていなければ、一回で終わっていたのかもしれません。
彼らが私の顔を見ていることはわかっていました。きっと、ホッとしていたことでしょう。
リーダーを交代しながら話し合いや行事は進めていきました。
全員がクラスの主役である!皆がそう感じてきた様子が伝わってきました。
しかし、もちろん良い事づくめのクラスではありません。
遅刻常習の生徒が呼び出しを受け、学年主任からお説教をうけることもしばしば・・・。
実際、担任が注意しても効き目が見えない状況もあったのです。困っていました。
こんな時、クラスメイトはどうしたと思いますか?
遅刻常習の生徒に向い、全員で叱ったのです。
そしてどうしたら遅刻をしなくなるかを、一緒に考えてくれたのです。
遅刻常習の彼が申し訳なさそうに聞いている姿を見て、クラス全員の温かさが伝わってきました。
人のことを気にできる、親身に考えられる、ダメなことはダメと言える!
様々な個性が交わり、プラス方向へ向かって進んでいることを素晴らしいと感じた出来事です。
もちろん、これは担任の指導ということから導き出されたことではなく、多くの人と関わることを嫌がらず、自分も他の人も楽しむことができる環境を作りたいと全員が思えることが多々あったからなのでしょう。
学校、特にクラスという環境は、各自の思考の形成や物事へ取り組む姿勢、意欲を様々な角度から知ることができる場所。
自分と他の人の価値観や概念は同じではないことが多いということを理解したり、また同調し共感できる場でもあるのです。
担任として、生徒には自由に好き放題にやらせるのではなく、ある範囲内でのことを認めていく、逸脱しないように配慮することが大切なことです。
そして担任も生徒と一緒に楽しむという姿勢を常に持っていることなのです。
才能ある彼ら、無限の可能性を持つ彼らと共に、その力を引き出すお手伝いができれば担任としては大満足。
生徒を信じてクラス経営を考えて下さい。
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