一流の脇役に徹する
生活の主役と脇役
日常の生活において、自分の生活の主人公、主役は自分である!
他の誰にもわからない思いや、現実で直面することがある自分の日々。
それは大人ばかりではなく、子どもたちにとっても同じこと。大人にはわからないことを経験している毎日なのです。
しかし、主役一人ではその日常という舞台では何もできません。多くの関わる人たちがいるからこそ、その舞台に立っているのです。
子どもたちが舞台に上がり人生という道を歩き始める時、そこには親をはじめとする多くの人たちが登場します。表舞台での共演ばかりでなく、裏方として支援する人たちも・・・。
特に家では家族が、学校では先生も友だちもいます。それが主役を彩る脇役なのです。
繰り返しになりますが、その中で子どもの育成を担う家庭や学校で脇役となるのは親であり先生であることは間違いないでしょう。
脇役としての役目
舞台での脇役とは、主役を引き立てることが役目だと思われますが、その存在は大きな意味を持っています。脇役の演技一つで主役が光るかどうか・・・。
スポットライトは常に主役に当たっているわけではなく、時に脇役に強い光が当たります。
つまり、脇役が主導することで物語が展開していく。
それを心得ていなくてはいけないのです。
日常に置き換えてみても、子どもたちの生活に関わる脇役としての親や先生は、いつでも同じ立ち位置にいるわけではありません。
自らが率先して子どもを引っ張ることもあるでしょう。しかし、それを続けていては子どもたちが依存してしまうこともあります。脇役が主役に取って代わってしまうのかもしれません。
もし、親や先生が主役として一時的に立つ時でも、その結果は必ず子どもたちに還元できる。
いつまでも自分が主役で中心であるという場面に得意にならないことです。
一流の脇役に徹する
かつて、大人も子どもでした。
その時、どんな風に大人に関わってほしかったのかを思い出してみましょう。
大人主体になると、子どもは大人任せに陥りがちです。あくまでも子どもが主体であること。主役として立つ子どもを支える役目を大人は担う。
子どもは支えがないと上手く進んでいかれない時期があります。この支えこそ、脇役に徹する親であり先生!
親も先生も自分の光を子どもに当てるため、自らも輝きがなくてはならないことを忘れないで下さい。
脇役は、時として主役であり、照明係、大道具係、監督でありコーチ。すべてが主役である子どもを活かすための存在なのです。
そんな親や先生が一流の脇役に徹していると言えるのではないでしょうか。
自分を振り返り、考えてみて下さい。
そして、見えてくる自分が主役を奪っていないか・・・
脇役に徹する時を見極めて下さい。