先生だから・・・などと考えることはない
先生という自分
学校の先生は、たぶん先生という身分に誇りを持ち、先生であることに自信を持っているはずです。
そうでなければいけない!とも思うこともあります。
しかし、それは私生活には必要のないこと。
その区切れ目をなかなか見つけることは難しいことでもあると感じます。
自分の中の先生という立ち位置がどこまで必要であり、納得できるものなかのかなど考えることもないでしょう。
日々の学校での先生としての生活は職業として当然のことをするだけ!なのですから。
先生だって一人の人間
先生なのに!先生のくせに!
この考えが頭にある限り、自分の迷いや悩みを解決する術を持つことは難しいものであることを、まず知って下さい。
誰かに話しをしたいけれど、自分は先生なのだ。だから相談されることはあってしかりだが、自分の迷いや悩みを大きな声で話をすることは憚られる・・・。
そう話す先生がいました。
つまり、何事もなかったかのように日々を耐えながら過ごすしかなくなるのです。
それは家庭生活まで影響してしまうもの。
仕事上でのことが、私生活にまで関わってしまうことは本人ばかりでなく家族も辛くなります。
よく考えてください。
先生と呼ばれている人だって、一人の人間であり、それは誰もが同じであることを。
知らないこともあれば、悩みもある。迷いだって悲しいこと、悔しいことも経験しているはずです。
なのに、自分で「先生」というイメージを勝手に作り、その枠に自分を押し込めている。
しかし、それでは職業として先生を続けていくのは苦しくなるのではないでしょうか。
この仕事に就きたくて頑張ってきた先生方が、志半ばで去っていくのも多い現在、自分の気持ちを押し込めずに吐き出し、新たな思考を取り入れる必要があります。
気持ちを吐き出す大切さ
そのためには、自分で先生である前に一人の悩める人間であることを自覚してほしいのです。
これは恥ずかしいことでも何でもありません。
子どもたちを相手にしている以上は、ともに生活する時間を大切に思うはずです。大切な時間を子どもたちがしっかりと感じ取れるようにするためには、先生自身が元気であり心からその時間を楽しんでいくことが求められます。
不機嫌な顔、つまらなそうな顔など、どこか心ここにあらずという状況があるとすれば、子どもたちは察知します。
それを良く考えてください。
先生だから!そんなプライドはこの際不要です。
一刻も早くそのプライドを置き、正直な自分をさらけ出すことです。
気持ちを吐き出すこと、それはどんな表現でも構いません。
泣き崩れてもいい、怒りを顕わにしてもいい、ゆっくりと言葉を選んでもいい・・・。
大切なことは、自分に素直になることです。
どうしたいのか、どうありたいのか。
そこには一人の先生がちゃんといます。
ガマンなどする必要はありません。
自分の気持ちを吐き出すために、しっかり受け皿になる人はいるものです。
多くの先生方が、自分のプライドを一度置いてから話をしてくれます。
そこには一人の人間としての先生が現れるのです。
もっと早く話を聞かせてほしかった・・・。
そう思うこともあります。
でも、自分の気持ちを吐き出すことで少しでも楽になることを実感できると、笑顔が戻ってくるのです。
失いそうになった自分自身を取り戻すことで、先生としてのプライドが新たに生まれるはずです。
迷うことなかれ!早めに気持ちを吐き出してください。
先生だから・・・。そんな考えは無用ですから。