子どもたちの目線の先にあるものとは
子どもたちの興味の対象
子どもたちは、好奇心に溢れていると感じることがあります。それは、興味の対象がとても広いとも言えるでしょう。
その中から、自分が本当に好きなものをみつけることもあるもの。
幼いころ、誰もが何かに疑問を持つと大人にきくことがあったのでは・・・?
「これはナニ?」「どうしてこんな形なの?」「いつからここにあるの?」
子どもの素直な心が見えてきます。
そして少しずつ周りが見えてくると、興味の対象も違う方向へも向き始めます。
子どもの目線は、常に一定ではなく多方向へ向いているのです。
しかし、ある方向へはいくつになっても向いていると言えます。
それは、親しい大人への目線です。
もちろん親しい大人だけではなく、自分が関心を持った人と言っても良いでしょう。
それゆえに、大人は考えなければいけないことがあるのです。
身近な大人を見る
子どもが成長する過程で、身近な大人は第一に家族。
両親に向けられた子どもの目線は、親をお手本にしようと必死です。知らないことを最初に教えてくれるのは親だからです。
それはいくつになっても同じ・・・。
つまり、親は子どもの手本になっているということです。
その目線の先にいる大人は、次第に増えてきます。学校へ行く頃には先生への目線が・・・。
先生は、常に子どもたちの目線の先に大きな存在としてあります。
親でもなく、友だちでもないそんな大人は彼らの目にはどのように映っているのでしょう?
それは、毎日の様子を見逃すまいとしているかのように感じることがあります。
私事ですが、高等学校の教員をしている時に毎日の服装をチェックされているように感じたことがあります。イメージとかけ離れた服装をしていると、それに対してのコメントを受けます。
それはそれで、クラスの話題となりみんなが笑えたので楽しいものでしたが・・・。
表情も見られています。その時々で、笑顔になれないこともあるものですが、子どもたちにはそんなことは関係ありません。
今日は機嫌が悪そうだ!などとクラス中にアッという間に広がります。もしかしたら、偵察しているのかな?などと思ったこともあるくらいです。
このように、子どもたちの目線の先には間違いなく大人の存在があるのです。
自分と関りを持つ大人の様子を見ることで、安心したり不安を覚えたり・・・。
大人とのかかわり方も学んでいるのかもしれません。
大人は手本
大人は、常に子どもの目線を意識しているわけではありません。
しかし、子どもは大人に興味を感じ、特に身近な大人のことを知りたいと思うものなのです。
ですから私たちは手本となっていることを頭に置いておくことも必要なことだと感じます。
子どもたちを大人へと導く役目を担っている大人は、時に自身を戒めながら生活する必要もあるでしょう。
その反面、自然体であることも大事なことです。喜怒哀楽を見せることも良いのです。
それは、人として自然なことであるからです。表現の仕方は様々ですが、子どもの目線が向いていることを忘れなければそれでよいのです。
子どもたちに対して、自然体で自分自身の生き方を見せる!そう思いながら子どもたちと関わることがよいのではないでしょうか。
たまに振り返ってみると、自分が見えてくるものです。
子どもたちの目線の先には、自分がなりたい大人が見えていればよいですね。