学ぶ楽しさを伝えるために
学校では
学校の先生方は、子どもたちに専門的な知識を与えることが使命だと感じることがあるでしょう。
しかし、それがどの程度伝わっているのかはわからないこともあるものです。
上級学校へ進めば、確認のための試験がある。そこで子どもたち自身がどの程度理解をしているのかを図るはずです。
さて、全員がそう考えているものなのでしょうか?
フッと疑問も湧いてきます。
授業は試験のために受ける!そう考えている子どももいるでしょう。
そして、試験のための授業であると知らず知らずに思っている先生方も・・・。
学校で学ぶことは、もちろん専門的な知識ばかりではありません。
それゆえ、学ぶことの多さや細かさもあるはずです。
その中で、子どもたちが学ぶということを当たり前のように行っているのでしょうか?
それは楽しいものだと感じているのでしょうか?
学ぶという行為は楽しむべきことであり、そこから世界が広がることもあるものです。
では、そうあるためには学ぶ楽しさはどのように伝えればよいのかを考えていきましょう。
先生の指導
先生方自身は、職業に就く時に「学校の先生」をなぜ選んだのでしょう?
理由はそれぞれあるはずですが、学ぶ楽しさを伝えたい!などと思った人はほんの少数のはずです。
それは、学ぶということを意識して行ってこなかったからなのです。
もちろん、学んでいる間に楽しさがわかってきたということはあるでしょう。それを意識出来れば良いのです。
ご自身は、学ぶ過程で楽しさを感じたことはありますか?あるとすれば、どのような時だったでしょう?
嫌々学んでいても、なかなか身にはつきません。
仕方なしにやっている勉強もあったはずです。
その中で、これは楽しいと気づくことはきっとあったはずです。
学校の先生は、初めに手取り足取りで子どもたちに指導をします。理解できないことがあれば、丁寧に説明を繰り返していることだと思います。
しかし、それが頻繁になるとどうでしょう・・・。
「この前も説明したはず!まだわからないのか」などと思ったり、口にすることはないでしょうか。
その状況が見られると、子どもたちは学ぶことに嫌気をさします。
つまり、指導している側の態度や言動によって学ぶ姿勢も変わってしまうということです。
先生に見放されたと思うことだってあるかもしれません。
先生の指導する姿勢いかんで、子どもたちの学ぶ意欲は大きく左右されるということです。
どのように伝えるか
では、次に子どもたちが学ぶことを楽しいと感じるために必要なことをを考えていきます。
何から何まで先生が手を携えて導くことはありませんか?
先生の思う通りに子どもたちを誘導してしまうこと・・・。
確かに子どもたちは先生の言う通りに従うかもしれません。
しかし、そこに楽しさはどれくらいあるものでしょう?
つまり、自主性を尊重することの大切さを先生が知らねばならないということです。
自分たちで考え、実行する。そうなるように指導するのが先生です。
色々考えること、実行することで生まれる感情や思いがあるものです。
それを知ると、楽しさを覚えるはずです。
子ども自身が自らの手で足で行動することができる。先生の手を離れて!
これは、何にも代えがたい学びなのです。
先生の手を離れて自分でできたことは、この上もなく嬉しく楽しいものです。
これは、普段の授業にも当てはまります。
基礎基本は、先生が指導するべきことですが、その先へ進むときに少しずつ手を放してみるのです。
すると、自分でできることが見えてくる。
その時にこそ学ぶ楽しさを思い切り感じられるものなのです。
学ぶことの楽しさは先生から
学ぶ楽しさは、学校でえたことから社会で得ることに変わってきます。
基本は学校でいかに学んだか、どのように指導してもらったかにあるのかもしれません。
学びとは、一生続くものです。
先生方は、今も学びの楽しさを感じていますか?
子どもたちと日々向かい合い、先生自身が学ぶことは楽しいものだと表現することから子どもたちに伝わることが多くあります。
まず、先生自身が楽しいと感じながら授業を展開することです。
決して試験のための授業ではなく、学ぶことは楽しい、それが子どもたちの学びたいという意欲につながるということを信じてほしいものです。