当たり前だと思ってはいけないこと
子どもたちがいること
学校に勤務していると、子どもたちがそこにいることを当たり前だと感じてしまうことがあります。
いや、感じもせずに日々を過ごしているのかもしれません。
しかし、そう思ってしまうことは良いのでしょうか・・・。
学校に来られなくなってしまう子どもたち、そこには様々な事情があるはずです。それを教師はどのように受け止め、対処することが良いのかも迷うことがあるでしょう。
実際は、そうなる前にするべきことがあるように思われます。
それも含め、子どもたちを知ることの大切さを感じてほしいのです。
子どもを知り、大切にするために
その時々で、子どもたちの様子、感情としっかり向かい合うとこでその子を知ることができると感じます。
学校生活と家庭生活は同じではありません。
大人のように、どちらかであったことを引きずらない、他方へ持ち込まないようにしようなどとは考えられないのです。
実は、それが自然なこと。素直な自分を表していることなのです。
あるがままの姿をそこに見ることができます。
居場所を失くしそうな子どもたちを受け止めること、楽しさを伝えたいと思う気持ちを捨てさせないことも教師としてできること。
大人の捉え方により、子どもたちの感情は変わります。
時に大きく揺れても、次第にその揺れは小さくなり穏やかな子どもに戻る。
その過程を大人はともに感じながら生きていくことができるのです。
大人はそんな過程を経験しているから、寄り添うこともできるはずなのです。
しかし、時間がない、他の子どもたちのことも気になるなどの理由付けをしてしまい見逃すこともあるものです。
子どもたちの感情はストレートに現れ、受け止めることも大変だと感じるかもしれません。それでも誰かが受け止めることが必要なのです。
子どもたちが感情をあらわにするとき、自分をわかってほしいという子どもなりの考えがあるもの。
まず向き合うこと、しっかりと聴くことです。
教師にとって、子どもを知るということは人を知り共に生きるということかもしれません。
子どもたちのどのような感情も理由があります。
一つ一つを見逃さないようにすることで、子どもたちの安心感につながり生活の安定も得られます。
子どもたちが学校にいることは当たり前ではなく、そこに来る意味を持っているからなのです。
それを教師はしっかりと意識することが求められます。
共に生きられる幸せを感じてほしい・・・。
それが、教師の成長にも繋がっているからです。