教員3年目経験者へ 自分を戒めることの大切さ
教員になるまで
頑張って頑張って学校の先生になった人。どうしても先生という職業に就きたいという思いからだったのでしょう。
しかし、それは簡単なことではなかったはず・・・。
採用試験に合格するまでの過程で頑張るということが、どこまで続くものなのか?
何がいけないのか?自分には適していないのか?
様々な葛藤と共に、毎年採用試験を受けていたはずです。
だからこそ、合格して新たに学校の先生として子どもたちの前に立った時、感動すら覚えたに違いないのです。
しかし、人は初心の気持ちを忘れてしまうことがあります。
先生として、子どもたちのために精一杯に頑張ろう!
きっと誰もがそう思ったことでしょう。
現実が始まり、授業や校務、さらに雑務に追われる時間を過ごしていると、疲れも現れ、それと共に怒りもこみ上げたり・・・。
どうしてこんなことを自分がやらなくてはいけないのか・・・と。
その感情をどのように対処していますか?
経験年数が短くても
子どもたちは素直に「先生」と呼びます。それはたとえ経験が30年あろうと1年目であろうと同じ目線で見てくるのです。
だから初任者だからと甘えることはできないものなのです。
わからないことはあってもいい。それを半端に答えることも必要ないこと。
先生だってわからないことはあるのだと子どもたちが気づけば良いのです。
だから勉強する。いつまでも勉強する意味があることを知るのです。
子どもたちはそう思ったとしても、先生方はどうでしょう?素直にわからないことを学ぼうとする姿勢をもっているでしょうか?
適当にその場をやり過ごすことはしていませんか?
一番いけないことです。
子どもたちの前で、先生だから偉いんだ!という態度や言葉は使っていませんか?
先生は偉くも何でもなく、ただ仕事をする上での関わりのための名称。
クラスに入れば担任として子どもたちを理解し、尊重することが必要です。
もちろん、そこにはただ単に子どもたちを甘やかすような姿勢を示すのではなく、正しいこと間違っていることなどをしっかりと伝える言葉を持っていなければなりません。
これは必要最低限のこと。
その姿勢とは、子どもたちの持っている力を発揮させるものです。
今、求められること
このように、常に自分はどうあるべきか、そして今日の自分はどうだったのかを自問自答することが求められるのです。
時に、自分を褒めること、時に戒めること・・・。
それを忘れてはいけないのです。
これから先の教員生活は長く続きます。
今だからこそ、自分が教員を目指したときのこと、そして現在の思いを照らし合わせてみることです。
すると、違いが大きいことに気づくでしょう。
それでいいのです。
だからこそ、再び思いを新たにして子どもたちと関わることです。
そして、迷い、悩み苦しい時、疲れた時には素直に表現できるようにしてください。
その力も大切なこと。
子どもたちはいつも先生の顔を見ています。
先生の態度や言葉、疲れた顔を見せると心配するものです。