自分を変化させる勇気
言い争いは自己主張のみ
例えば誰かと言い争いをしたとしよう。
たぶん、自分は相手を言い負かそう!相手を変えてやろう!などと思うのではないでしょうか・・・。
自分の考えと全く違う考えの人がいると、その人を疎ましく思ったり嫌いになったりすることも時としてあるものです。
しかし、自分と同じことを考えている人など、ほぼいないのが現状です。
時々、同じ意見です!などと言う人はいますが、すべてのことが最初から一致しているのではなく、結果的にそこに辿り着いただけのこと。
いずれにしろ、そこに辿りつく過程をお互いが知ることは、とても有意義なことです。つまり思考段階が様々であることから、自分自身の視野が広がると感じられるからです。
話しを戻しますが、意見を戦わせるときは、自分が絶対であるという思いを抱いているはずです。そこには、自分なりの根拠がある!
しかし、それは相手も同じこと。
つまり、自己主張を互いに行っているだけにすぎないのです。
これではある種、とても無意味なこと。何故なら、どうして相手はそう考えたのか、そこに至る過程に何があったのかなどに耳を傾けず、思考もそこへ向けることが無いからです。
最終的に自分は変えないが、相手は変わるべきだなどと思いあがってしまう・・・。
まるで勝ち負けを競う間柄のようにみえます。
何のため、誰のためを忘れない
ここで考えるべきは、自分の主張は誰のためであり、何のためであるかという根本的なことを忘れているのではないか!ということです。
教員だったら、きっと誰もが子どもたちのためと言うでしょう。
気づきますか?同じ方向を向いていることに!!
つまり、ある目的に至るまでの過程は、一通りではないということなのです。
すべてを机上に並べ、現状を踏まえて皆で考えてみる。誰が発案したかなどは問題外として。
意見を戦させている時は、あの人が言うから反対!などと思ってしまうこともあるでしょう。しかし、目的が同じであることを再確認すると、相手の意見にも耳を傾けることができるはずです。
どれが正しい!ということではないのです。
より現状に即して有効な方法か、目的に辿り着くまでの過程で子どもたちは何を学ぶだろうか・・・。
今より必要な事は含まれているだろうか・・・などを見直してみることです。
それには時間がかかるかもしれません。
自分の意見も少し離れた位置から見てみると、案外あれっ?と思うことも含まれていたりします。
気づいたら修正をすればよいだけのこと。修正はいつでもできるし、恥じることも悪いことでもありません。
状況により、自分の思考も行動も変化させる必要があるということを常に頭に置くべきなのです。
誰にも調整能力は備わっているのですから!
自分を変化させることはできる
とかく教員は自分を変えようとしない傾向がみられます。表面上は変えたように見せていても心の中では・・・
高いプライドを持ち自分がそこに居るのですが、そこに甘んじることなく柔軟に物事を捉えて考えられる人であれば、より視野は広がり見識が増えます。
そして、それを目的のために今後も使うことができるのです。
誰かに迎合するわけではなく、より良いことを総合的に考えて判断できる力を持つことが大切なこと。
自己を主張していくことは悪いことではなく、多くの考えを並べる必要がある中では活きてきます。
多くの意見の良いところどりができるからです。
自分絶対主義に縛られず、いつでも自分を変化させることができる勇気を持つことで協力体制も生まれ、より目的が明確化されることを忘れないで下さい。
自分が柔軟に変わることで、全体を変えることにるながるのです。
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